働くということ

働く意味を「お金」以外で考える。人はなぜ、働くのか。

会社と自宅の往復の日々

夜寝る前の「明日も仕事だ〜」

朝起きて「今日も仕事だ〜」

日曜日の夜「明日からまた仕事だ〜」

そんな事を思う日々。

そんな生活の中で、ふと、「あれ、なんのために働いているんだっけ?」と考えたことはありませんか?

挨拶が遅れました。みなさんこんにちは、くろです

「働く」ということは人が人として生きる上では欠かせないことですが、「働く」理由ってなんなんでしょうか。

人によって働く理由はそれぞれあるのかもしれませんが、その理由の一つが「お金」ではないでしょうか?

お金が全てでないのはもちろんですが、お金がないと成せないことが多い現代において、働く理由の一つが「お金」であることは紛れのない事実なのかもしれません。

ですが、だとしたら、お金の必要のない世界になったら人は働かないのでしょうか?

私たちは「お金」のため”だけ”に働いているのでしょうか?

決してそんなことはないはずだと、私は思っています。

というより、今現在「お金」のために働いている方々が、「それは違うんじゃないか」と、そう疑問を投げかけているから、「働いている理由」を探してしまうのではないでしょうか?

では私たちは、私は、なんのために働くのか。

それは、他者も自分も含めた「人」のためではないかと、そう考えます。

「人」のために働く

「お金」は働く目的ではない

「お金」は道具

「お金のために働く」私はそう思って生きてきました。今も、その側面があるのも事実だという考えが変わったわけではありません。

でもそれが「本当に働く目的、理由なのか?」というと、少し違う気もしてきたのです。

人生の中で長い時間を使う「働く」という時間。

「働く」ことは「生きる」ことだと言っても過言ではないかもしれません。

では、「働く」理由が「お金」になってしまったら、「私はお金を稼ぐために生まれてきたの?お金のための人生なの?」となってしまいませんか?

私はそう考えることが多々あったのですが、その問いに、私の心はいつも「イエス」とは言いませんでした。

確かに、お金は必要です。お金があれば自由度も上がります。

でも、お金は生きる上で必要な「道具」でしかありません。

食べるため

住むため

楽しい時間のため

に「お金」が必要なだけではないでしょうか。

生活を守る”ため”に「お金」が必要

「お金」は食べるにも住むにも楽しむにも、守りたい自分の生活を実現するために必要です。それは事実です。

でも、それなら、それらに「お金」が必要のない時がきたら、私たちは働かないのでしょうか?みんなが毎日遊んで歩いて、そんな世界になってしまうのでしょうか?

でも、よく考えてみてください。

働く人がいないと言うことは、生活する上でのインフラすら整わないことになります。

働くことが「お金」ではなく「人」のためではないかと思ったのは、ここが最大の理由です。

他者のために働く

仕事は感謝の先にある

私たちが普段何気なく利用している住居もその中で使う電気も水も食料も、全て誰かの「働く」のおかげで成り立っています。自分自身でゼロからやろうと思っても、それは難しいことですよね。

テレビを見て楽しいのも、動画配信サービスを見て楽しいのも、街に繰り出して楽しいのも、それらは全て「誰かの働き」のお陰だと思うのです。

他人の感謝の先に、「仕事」が存在するのではないでしょうか。

「働く」は人の為ならず

「情けは人の為ならず」という言葉がありますが、

これは「人に情けを掛けておけば、巡り巡って自分に良い報が返ってくる」ということです。

「働く」にも同じようなことが言えると思います。

個人にできることには限界があり、人によった得手不得手もあります。できることもあればできないこともある。それが人間です。

それらを補い合って生きていく。その先に「働く」ということがあるのではないでしょうか。

誰かができないことを私が、私にできないことを誰かが。

そうやって「働く(仕事)」ことで巡り巡って個人が、社会が、心地よい生活を送っていける環境を作りあっているのではないでしょうか。

自分のために働く

とはいえ、「他者のため」と言われると偽善的なものを感じる人がいると思います。

私は「他者」も「自分」も含めて「人のため」だと思っています。

「自分のため」にも働く理由は必要です。

自己実現・自己成長

「働く」を通して「こうありたい」と思う自分や自分の生活を実現することは立派な理由の一つになります。

例えば先程の「食べるため、住むため、楽しむため」も自己実現の一つです。

また、仕事を通して新しいことができるようになることは自分の成長を感じると思います。

そして、そのことにより誰かに感謝されることがあるかもしれません。

これらはいわゆる「やりがい」を感じることに繋がります。

「やりがい」を持って働いている人は、例え「お金」を多くもらえていなくても、長時間の労働になってしまったとしても、苦を感じることなく働いている人が多いのでないでしょうか。

「働く」ことは、自分が自分らしく在るためにも、必要なことだと思います。

他者との繋がり

月並みな言葉ではありますが、人は一人では生きれません。

「他者のために働く」でも書いたように、人はお互いがお互いを助け合って生きています。

そうすることで、他者と、社会との繋がりを保つのです。

人は他人との繋がりの中でしか人を保てません。

自分以外の誰もがいないということは、自分を含めて誰もいないのと同じようなものです。

自分がいるから他者がいて、他者がいるから自分がいるのだと、私はそう思っています。

その確認のためにも、少しでも、小さくても、他者と繋がり、社会の中で働くということは必要なのではないでしょうか。

まとめ

ということで今回は「お金以外の働く理由」についてのお話でした。

今回は、私が今まで生きてきた中で考え続け、本などから得た様々な考え方を取り入れつつ、至った「今の私」の考え方になります。

もちろん、「働く理由」の唯一無二の答えというわけではありません。

それには人の数だけ答えがあり、人の数だけ理由があると思います。

過ごしてきた環境や、現在の環境によっても答えは大きく変わるでしょう。

大事なことは、「なぜなのか」を自分に問い続けることではないかと私は思います。

私の今のこの考え方が、誰かの問いの一つの参考になる日が来れば、嬉しいなと思います。

 

それでは!